2007/03/21

[木鐸]   いくらコンピュータでも足し算の繰り返しでかけ算の計算なんかしません

at 22:58JST
アベちゃんとかサンケイだけじゃなく、もうちょっと左寄りの人間までこんなこと言ってるから教育論議が不毛になるんだよ。

と思って、タイトルだけでこの立花隆の記事は読み飛ばしていたのだが、こんなヘンなこと書いてたのか。みんな同じこと突っ込んでるのかな?

東大の「産業総論」で露呈 日本人の知力崩壊が始まった - ビジネススタイル - nikkei BPnet
http://www.nikkeibp.co.jp/style/biz/feature/tachibana/media/070316_rotei/index3.html
コンピュータはかけ算すら足し算の繰り返しとして計算する。そういう数学の基礎中の基礎をちゃんと理解しているかどうかが最も重要なのだ


おまえ、ちょっとZ80でかけ算するコード書いてこいと。小一時間問い詰めたい。

ぼくがザイログニーモニック書いてたのは小学生のころだが、それでも単純にかけ算を足し算の繰り返しでコーディングしたら激遅なのはすぐわかった。

たしかに当時の8ビットCPUには乗算命令はなかった。でも、足し算なんかやってられない。ということで頭のいい連中(=ぼくではない人々)は

「ビット演算でかけ算する」

という手法を編み出した。

たとえば、十進数の2は二進数に直すと

00000010b

という01の羅列=ビット列になる。CPUにはこういうビット列専門の演算機能があって、

「ビット列を左に一桁ずつずらす」

といったことがカンタンにできる。たとえば先ほどのものを左に一桁ずらすと

00000100b

となる。注目すべきは、この二進数は十進に直すと

4

になるわけだ。左に一桁ずらすと、なんと

×2したのと同じになる

のだ。同様に一桁ずつずらしていくと2のn乗のかけ算が足し算よりもずっと素早くできることがわかる。ちなみに逆方向にずらすと割り算もできる。

なるほど確かに基礎は大事だ。だが、ちょっと待って欲しい。大事だからといって全員に基礎だけを押しつけていたら、そしてその基礎の押しつけだけで自分の時間をもてないほどアップアップさせてしまったら、いったい誰がこんな

「ビット演算したらカンタンにかけ算できるじゃん」

などという邪道を考えつくというんだ?

実際に規律や規範を押しつけ、修練と称して基礎の繰り返しばかりさせていると、こういう芽を気づかず摘んでしまうことが多い。

たとえばぼくはこういうことを小中学校の休み時間とか、プリントを人より早めに終わらせた余り時間とかに、持ち込んだ授業と関係ない本を読みふけって学んだ。でももし、規律が大事だなどと言ってこうした本の持ち込みが厳しく制限されていたら、おそらく知識を吸収する時間がもてなかったに違いない(個人的には授業を聞き流しながら脳内で好き勝手なこと考えてただろうと思うけど)。マンガだって持ち込むのがいいとは言わないが、学校に持ち込んで描き写したりする時間がなかったら、将来のマンガ家になれるヤツの芽を摘むことになりかねない(ほとんどのマンガ家は休み時間に絵を描いていた経験があるもんだろう)。

管理教育が問題だ、ゆとりをもとう、という話になったのは、こういう

「邪道の効果に期待しよう」

という考え方からだったはずだ。手垢のついた言葉でいえば「個性を尊重し、伸ばす」ということになるのだけれど。

たしかに基本的な学習能力を身につけることは大事だ。でも、実際に社会に出てから何かするには、+αの何かが必要になる。その+αというのは実はこういう邪道から身につけるものであって、小中高大の正規の教科で教わるものではけしてない。

だから子どもの人生を正規の教科に追いついていくだけで精一杯にしてはいけないのだ。それが「ゆとり教育」の本来の考え方だったはずだ。

ぼくにはそれが事実かどうかを確かめる術がないが、
「日本には世界と競争していく技術力が足りない」
「コンテンツを創造する独創性が足りない」
と言うのなら、それはまぎれもなく「邪道」を尊重しなかった社会のあり方に責任が帰されるべきだと思う。

学校の授業だけでスーパーハッカーが生まれるか? 学校の授業だけで名フィギュアスケーターが生まれるだろうか。学校でカーリングスターを育てる?

勘違いされないように書いておくけれど、ぼくは「学校は何も教えてはくれない」なんて思わない。学校は大好きだったし、さまざまなおもしろいこと大切なことを教えてくれた。でも、学校を終えたあとに生きていくのに必要なテクニックは、学校の目も親の目も届かないところで身につけてはぐくんだものだ。すべてが他人の目の下にあったら、いったいぼくはどうなっていたんだろう。

2007/03/20

[木鐸]   ぼくはその方法でサバイバルしたくないんだ

at 06:37JST
絡みたいわけじゃないのだが、また書く。

My Life Between Silicon Valley and Japan - 嵐のような反応を読んで
http://d.hatena.ne.jp/umedamochio/20070319/p1
「ウェブ進化論」を「フラット化する世界」や「富の未来」と一緒に読んでくれる読者が多いようだけれど、どの「未来への考察」も大筋では近い方向を指しているわけで、ではそういう未来が2020年頃に顕在化し、かなり大きなインパクトをもって日本社会を変えていくのだとすれば、その「あとの半分」の世界でサバイバルする思考法っていったいどういう考え方なんだろう、ということを今後真剣に考えていきたいと思っているのだ。「直感を信じろ、自分を信じろ、好きを貫け、人を褒めろ、人の粗探ししてる暇があったら自分で何かやれ。」はそのプレビューみたいなものだったんだと思ってください。


どうなんだろ。

ぼくは遠目から
 今回の梅田氏のエントリ
 →それに対する読者の(好意的な)反応
を見ていて、
「ああ、これが梅田氏が“ウェブ進化論”で称揚している未来なのだな」
と相似性なり類縁性なりを感じたのだが、そうしたものがあたりまえになった未来社会でサバイバルしていく、生きていくことは自分にはとても窮屈に思えてしかたない。窮屈というのは、ぼくにその能力がない落伍者という意味で。

具体的に言えば、梅田氏のことばを賞賛し、自分のinterest=利益にかなうものとして盲目的に受け入れ、賛美する人々のものすごい規模の渦だ。この2,3日ではてなブックマークだけで700以上のブックマークを集めた“渦”は、それはインターネットがなければ実現しなかったことだろう。規模は。

しかし、質や内容はといえば別に“旧社会”でもありえたことだ。もちろんテーゼは違うけれど。特定のinterestをもつ人々が、自分たちのinterestを代弁してくれる弁の立つ人物の発言に注目し、熱狂的に支持する。バイアスがかかるのであえて例を出さないが、古今東西、こんな事例は枚挙にいとまがない。そしていい結果も悪い結果も生んできた。

違うのはスピードと規模だけだ。

たまたま
「ネット対“旧社会”」
という構図でネット側に所属するinterestをもつ人々が、梅田氏という多弁なtalentをもつ人を得て、熱狂的に共感してあっという間に大きな渦をつくっていく…。

いっぽうでこの“渦”は、悪弊のほうもスピードと規模を増して持ち合わせている。

たとえば、このあいだ書いたぼくのエントリは珍しく何回かブクマされたのだが、なぜか細かいニュアンスまで把握せず、批判しているコメントがあった(「人をほめろ」というエントリを支持する人がなぜ他人の粗探しをするのかという疑問はさておき)。まあ、ぼくの文章のヘタさ加減や、そもそも論が稚拙なことは大目に見てもらっても、こうした“渦”が
「否定や疑問を許さない性質をもちやすい」
という指摘は、過去のネットでの出来事からうなずいてもらえるんじゃないだろうか。それは「同調圧力」と言い換えてもかまわないはずだ。

同調圧力というならぼくらが所属するこの社会は、とてもこの圧力が強いことでおなじみで。それなら“渦”を形成するすごいパワーをもつ「Web 2.0的未来社会」が旧社会と何が違うのかというと。何も違わないのではないかという不安を覚える。

どうもWeb 2.0的未来社会というのは、
「フラットで、多くの大衆があっという間に“渦”を形成し、
 ときにものすごい同調圧力をかけてくる社会」
なんじゃないか。

すると、そこでサバイバルする方法というのは、
・情報を効率よく消費して、大衆のあいだの“流れ”をすばやく読む
・同調圧力の対象にならないよう、できるだけ大きな渦に入る
ということなんじゃないかとぼくは思う。これはまるで旧社会で重宝されている処世術の「バージョン 2.0」のようだ。

ぼくのような障害者にとってこのサバイバル術はとても負担が大きい。この方法でサバイバルしていくことはできないし、そもそもしていきたくない。

と、ウェブ進化の果ての未来社会を恣意的に描き出すいっぽうで、ぼくは昔、インターネットの普及がまるっきり逆の影響を社会に与えると予想していた。

インターネットにまだ「Web」はなかったころの話だが、AUPなどでバリバリに縛りのかかった細い線を介して、当時国交の希薄だったロシア・東欧の人々とさえ意見のやりとりができるさまを体験した。そこでぼくは
「これは個人の不完全性を解決する道具なのではないか」
と考えた。

圧倒的な低コストで自分の表現を世界に発信できる(これは95年ごろにかなり使い古されたインターネットの説明だ…)ということは、非力な個人を補完し、他の個人・法人・組織と対等にやりあう力を与えてくれるのではないだろうか、と思ったわけだ。

いまちょっと思ったが「発信する」と、Web 2.0的な「つながる」はかなり違うよね…。「つながる」は外部依存性がある感じだ。当時ぼくが思い描いていたものはそれとはまるで逆で、発信するのは「完結している個人」というイメージ。

インターネットによって、あらゆる個人が知的な能力を高め、内省し、そして強力な個人として世界に率先して表現を発信していく…そんな未来を思い描いていた。

そこで必要なサバイバル術というのは先のものとはまったく異なる。
・自分で吟味して情報を収集し、内省してきちんと消化する
・他人の表現は収集・検討する価値のあるものだから、
 多様性は尊重される

無能力者なぼくだが、こういったサバイバル術を使ってひとりで生きていくことならなんとかできそうだ。だから、これでサバイバルする未来社会なら喜んで受け入れたい。

でも、2007年の現在。世界はそうなっているとは言えない気がする。なんとなく、梅田氏のエントリやそれを取り巻く人々の反応からそう感じた。まあ、カンタンに言えばみっともない疎外感でしかないのだけれど。

少なくとも、極端な激文がRSSリーダー経由でよく吟味されずに読まれ、ワンクリックでブックマークされることによる多数決で称揚され、大きな渦があっという間に作られていく…という形態は、ぼくにとってはあまり住みやすい未来じゃない。

どっちにしろ「ぼくにとって」という話だ。世界にとってWeb 2.0的な未来が望ましいのであれば、それでしかたがないのだろう。

なんかめんどくさくなってきたのであんまり推敲せずにやめ。
おふろはいろ。

追記:
あ、そうか。
いや、カンタンにまとめると
「ネットとか“ウェブ進化”とか言っても、
 結局新しい権益グループを作るだけで終わっちゃうんじゃないの?」
ってことか。氾濫してる“マスゴミ”って用語を多用する層みたいな、ね。

個人的には、なんかそれって悲しくって、ネットという道具によって社会構成員全体が完成された強い個人になったらいいのに…って思っているわけだ。なんというか…「上座部仏教的大乗仏教」?

2007/03/18

[木鐸]   全肯定ポジティブ教はきらいだ

at 04:18JST
My Life Between Silicon Valley and Japan
直感を信じろ、自分を信じろ、好きを貫け、
人を褒めろ、人の粗探ししてる暇があったら自分で何かやれ。
http://d.hatena.ne.jp/umedamochio/20070317

ぼくは、こういう主張にはまったく賛同できない。

「好きとメシのタネをつなぐものを見つける」という点だけはそのとおりだと思うし、自分にはそういう生き方しかできないけれど、ほかの多くの人はそういう生き方をしたがらないし、そのために疎外感を味わうイバラの道を歩くことになるなら…と思うと、他人に脳天気に奨めることは躊躇する。

とにかく人をほめろ、と。ものごとはこんなに単純じゃない。たとえわかりやすくするために戯画化された表現なのだとしても、そのことばがひとり歩きして害毒をもたらすとしたら、そこらの老人が俗流若者論を垂れ流しているのとベクトルが同じだと思う。

たとえば、ぼくは「全面的に人を褒めろ」という強力なポジティブ思考は間違いだと思う。今のぼくはお追従は言わない生き方を選んでいる。明らかにすばらしいと評価できるものはほめるし、それが必要なときはほめられるところを探してほめる。でもその場合も欠陥をともに指摘することが多いし、少なくとも最小限の「ほめ」ですますようにしている。全体として評価に値しないと思ったものはほめない。絶対に。

なぜなら、ほめるという行為は対象の動作に誤差をもたらしかねないからだ。なおかつ対象の自己評価も過大にさせ、実は間違っている行動をそれと気付くことを遅らせ、破綻する方向に追い込む危険性が高い。自営レベルの知り合いでは、それで自殺に追い込まれたケースもある。事業失敗程度で自殺しなきゃならない社会にも問題はあるが、他人をほめるということはそれだけの責任を伴うということだ。先のケースでは、根拠が不確実すぎる夢をまわりの皆が持ち上げすぎたのではないか、とぼくは今でも思っている。

とはいえ、無関係な他人をあげつらってまで他人をけなす必要はたしかになかろう。そういう意味では「粗探しをするな」というのは賛成だ。評価する、というのはたとえ一面識しかなくても本気になって考えてあげられる知己のためにするものだ。

だがだが、たとえば同じ企業の中にいる相手のことなら、粗探しをする真剣さも必要だし、むやみにほめない率直さもたいせつだと思う。

そういう意味では、ブレインストーミングや企画出しの場でよく言われる「否定しないこと」というのも嫌いだ。間違っていると思う。梅田氏のエントリにアラートを感じるのは、たぶんそれと類似性を感じるからだろう。

こういう場では、みんながなごやかな雰囲気を演出しながらさまざまな企画を出す。しかし、この手の時間軸のある場では、途中で出たひとことにあとの流れが影響──汚染されがちなものだ。それがいいものであることもないではないが、突拍子もないものであっても汚染は起こる。たとえば、卑近ながらありがちなのが「上司は思い付きでものを言う」(橋本治)のような。

突拍子もないことを言うのは上司に限らない。誰もが、ネジ工場の事業改革討議の場で
「コンビニでもやるか」
というような発言をする危険性がある。そして流れが汚染される。なぜか最終的に
「ネジの直販もやるセブンイレブン」
という新事業が決まったりする。…こんなのは会社にいればよくある話だ。裏表ダブル表紙を掲げて伝説の返品率を記録した雑誌の話は知っているだろう。重厚長大産業だけでなく、なかよしグループ的なネットベンチャーでも日常的にこんなことは起きている。

もちろん会議の流れをうまく誘導して
「ネットでネジのコンビニを開こう」
と持っていければ結果オーライだが、そんなことのできる智者はごく少数だし、参加している多数を魅了・説得しなければならないというものすごい負担が課される。これはすごいハードルだ。しかも本人の努力だけでは飛び越えられない。実際には、
「コンビニは××だからダメだ」
と“ほめない”人間がきちんと出るほうがハードルが低く、コストも少なく、そして閑古鳥の鳴くコンビニで赤字を出さずにすむ。

だから「人をほめろ」というのは、最低でも留保つきのドグマでなくてはならない。

ぼくは会社にいて何がいちばんイヤかというと、赤字が出ることではなく、思慮の浅い計画のせいで新しい人が雇われ、そしてはじめから出ないとわかっている成果が出なかったときに無責任にクビが切られるのを見ることだ。あるいは適材適所を考えず人が異動させられたり左遷させられたりを見ることだ。社員だけでなく、派遣も外注も…いろんな人、たくさんの人が悲しい思いをして、人生を多少狂わされる。今まで何回も見てきて、本当につらかった。沈むとわかっている船に人を載せ、もちろん沈まないようにコントロールするけれど沈むことは最初からわかっていて…。ただほめまくることは、そんな船を量産することになる。設計段階で無意味に発したほめことばが、沈む船を建造したきっかけだったら…。

本当に必要なのは、ほどほどにほめること、ほどほどにけなすことだろう。

でも、組織では、会社では、そんなほどほどはうまくいかないものだ。人は感性がそれぞれ違い、好きも嫌いもある。人が増えれば、ひとつの物差しでほどほどははかれない。

だからぼくは、やりたいことやるなら個人でやるのがいちばんいいと思うよ。自分をほめてもけなしても、自分のなかで完結する。

それに組織の能力は構成員の能力の総和にはならないものだ。構成員の能力の最大公約数にしかならない。これだけは言える。梅田氏の言うように新芽をつぶす企業現場は多い。というか企業というのはそのために存在する。それは多くの人間のエゴの集合だからしかたがない。だから企業には期待するな。

全否定ネガティブ信者のひとりごと。

2007/03/14

[木鐸]   きっとみんなホームレスが憎いのだ

at 20:39JST
たまたま、リファラーから

waxcafeの日記 - 0円生活の方法
http://d.hatena.ne.jp/waxcafe/20070219

を見かけて「そういえばそんな記事があったな」と思い出した。0円で自由に暮らす隅田川沿い在住ホームレスの話。

そういう人は誰にも迷惑をかけていないし、立派に生きているわけで。しかし、大阪の(そして過去の新宿やこれから東京オリンピックに向けての)ホームレス追放でわかるように、なぜか嫌悪され、追い出される。存在自体が迷惑だと見なされる。

生き物として存在しているからには自由に生きる権利があるはずなのだが。それでもなぜか“ふつうの人々”から嫌悪されるのは、きっと彼らにとってホームレスは憎々しい存在だからなんじゃなかろうか。

彼らは貧しいし、健康面でも不安にさいなまれているリスクがあるわけだが、“ふつうの人々”には持ち得ないものをもっている。それは「自由に存在できる」ということだ。

ぼくらにとって、今や社会メカニズムから切り離されて存在することは容易ではない。その機構の中で、さまざまなルールや暗黙の了解に押しつぶされそうになりながら生きていかねばならない。

野良犬が街中を自由に闊歩できるように、本当なら生き物というのは
「存在する」
ことは自由なはずなのだが、いちど社会メカニズムの中に組み込まれた人間にとっては存在を維持し続けること自体に多大なパワーを費やさねばならない。毎日会社に通い、近所とつきあい、制度のイデオロギーに従い…。その中でなんとか経済的な地位をキープして不安におびえながら暮らしている。少しでもその努力を怠れば存在すること自体が不可能になる、と思われている(そしてほぼ正しい)。

実際には、世界のどこでもここ2〜300年で近代化が進むまでは、この
「存在の自由」
は当然のものだった。苛烈な封建時代であっても、江戸期日本の農民がたびたび逃散したように、いざとなればすべてを捨てて「存在するため」だけに逃げ出すことが可能だった。

引き合いに出すと色眼鏡で見られそうだが、マルクスがその思想の初期に題材としたのが、ヨーロッパの貧民の生活の変遷だった。彼らは燃料を買う金はなく、代わりに近隣の山から薪を切り出してはそれを糧に暮らしていた。しかし、近代資本主義の進展に伴い、あらゆるものの所有が明確化されるにつれ、そのような「自由」は「勝手」と見なされ、犯罪に区分されるようになった。経済メカニズムから切り離される自由をもっていた貧民が、どんどん取り込まれて自由を失っていったのが資本主義の進歩の実態だ(マルクスの言う共産主義というのは、その自由を取り戻そうというラジカルな考え方だったわけだ)。

今はもはや、ほとんどの人はそんな
「自由な時代」
があったことなど想像もできない。つい2,3世紀前のことなのに。

だからこそ、自由に生きているホームレスたちを(どんなに彼らがリスクを背負っていたとしても)潜在意識下で羨望のまなざしで見つめ、そして憎む。

人は、自分がもたないものをもつ者を憎む。

なにも持っていないホームレスが憎まれる理由がそれなら、皮肉としか言いようがない。

2007/03/01

[木鐸]   宋さんがんばってほしいな…

at 05:26JST
中国人を理由に僕を非難する方々へ (宋文洲の傍目八目):NBonline(日経ビジネス オンライン)
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20070226/119781/?P=2

タフな人だけど心配だな。応援したい。

2007/02/15

[木鐸]   野菜の保存

at 20:59JST
(cache) NHKニュース
http://megalodon.jp/?url=http://www3.nhk.or.jp/news/2007/02/15/d20070215000185.html&date=20070215201855
「キャベツ」や「はくさい」などの野菜は、去年の秋以降、気温の高い日が続いて出荷量が増えたため、価格が平年の半値程度まで下がり、これまでに10の県でおよそ2万2000トンの野菜が廃棄されています。これについて消費者から「もったいない」などと批判が出ていることを受けて、農林水産省では、有識者による委員会を設け、できすぎた野菜を有効活用する方法の検討を始めました。15日の初めての会合では、出席した7人の委員から、「野菜の保存に関する技術開発を国が主導して進めるべきだ」、「廃棄する前に出荷の時期を調整するなど、生産や流通段階の取り組みも必要だ」といった意見が出ていました


野菜の長期保存って…たとえばフレーク状にしてフリーズドライすれば現状でも半永久的に可能なんじゃないだろうか。出荷時期をずらすための短期貯蔵や輸送技術も、それなりに確立されてるはず。

でも問題はそこじゃないよなあ。

長期保存すれば、けっきょく在庫は溜まるわけで。たとえ商品形態を変えてもキャベツならキャベツの全体での価値は下落する。そうすると結局価格をコントロールしなきゃいけないわけで、それでも廃棄を許さないというのなら、農家を補助金漬けにして統制しなくてはいけなくなる。そうするとさらに農業は非効率化・弱体化していき…。

それでいいのか?

だいたい、国が研究なんぞしなくてもキャベツを長期保存可能な食品に転用する用途はいくらでもある。ハナマサの冷凍ロールキャベツなんて、消費期限いつなんだ。それでも廃棄せざるを得ないのは、経済的に見合わないからだ。じゃあ来年は見合うように作ろう…という調整の動機付けになる。長い目で見たら廃棄したほうがムダなく生産サイクルをまわすことができる。

そもそもキャベツの廃棄なんて20年以上前から豊作のたびに出てる問題なわけで。小学生でも知ってる。なんで目立つかといえば、生の葉物野菜がたまたま微調整が困難だからだ。ちょっとしたズレでこういうことが起きる。ということは逆のズレが起きている年だってある。全体で見たら平滑化される。

いちいち感情的になって「もったいない」なんていじりだすと、かえって農業を壊してしまう。政治はもっと巨視的にかまえるもんだ。なんでも「有識者」にかこつけて語る最近の傾向は非常にまずい。調べてもメンツがわからなかったが、どうせタレントか曽野綾子とか藤原正彦とかだろう。くだらん。

「飢えてる人もいるのに…」
というのはエクスキューズにならんよ。金持ちは忘れがちだが、難民や貧乏人にも食べるものを選ぶ権利はあるのだ。毎日キャベツの配給を受けて腹がふくれるか? 少なくともぼくは食べたくない。そんな慈善は満ち足りた者の自己満足だ。

日本という経済圏で、キャベツを捨てることによってなんとか生計を維持できる農民がいるなら、それはもったいないことなんかじゃない。必要なコストなのだ。それを認めたくないなら、明日から毎日日本人は全員三食キャベツだけ食べればいい。そうすれば捨てなくて済む。「それはちょっと…」と躊躇するなら、そのほうが罰当たりじゃないか?

2007/02/14

[木鐸]   ひどいザル法だ!

at 22:52JST
チョコレート等の特定贈与等による心理的外傷の防止に関する法律案
http://bewaad.com/20070214.html#p01
二 特定贈与等がチョコレート等の試験研究に充てるための寄付として行われるとき


これでは2/14に、
自称「チョコレート研究家」
が増殖するだけではないか!

おそらく霞ヶ関あたりの役人が、自分だけは法の抜け道を突いてチョコをもらおうと思案して書き上げたものに違いない。やはり首相の嫁が菓子メーカーの娘では、清廉な政治は望めない。アベ内閣は今すぐ総辞職すべきだ。

2007/02/13

[木鐸]   大阪市パリ事務所

at 18:01JST
(cache) NHKニュース
http://megalodon.jp/?url=http://www3.nhk.or.jp/news/2007/02/13/d20070213000102.html&date=20070213175656
大阪市によりますと、日本時間の12日午後6時ごろ、パリ市内のビルにある「大阪市パリ事務所」にフランスのホームレスの支援団体のメンバーや現地の日本人およそ20人が押しかけ、職員の制止を振り切って事務所の中に入りました。そして、窓から「大阪の野宿者と連帯を」と書かれた横断幕を掲げたあと、事務所に居座りました


…ホームレスを追い出すことの是非はともかく、なぜ大阪市がパリに事務所をもっているのかがわからん。大阪とパリというと、豆腐と納豆くらいかけはなれた存在に思えるのだが。あれか? パリに大阪弁を普及させるとか、パリのバーゲンに行くおばちゃんの憩いの場所とか、そういう役割なんだろうか。

CITY OF OSAKA, PARIS OFFICE
http://www.osaka.fr/

パリ事務所を出すお金でホームレス支援をしたほうがいいと思う。

2007/02/11

[木鐸]   関東防空大演習を嗤う

at 17:02JST
萬晩報で旧信濃毎日新聞・桐生悠々という人物の表題のコラムについて触れられていた。

穴あきダムを嗤う
http://www.yorozubp.com/0702/070211.htm

なんとなく読みたくなったので検索してみたら抜粋があった。ほんとに今のインターネットは恵まれてるな…。

“違法”コピー。1933年(昭和8年)8月11日付、信濃毎日新聞社説「関東防空大演習を嗤う」。

 「将来若し敵機を、帝都の空に迎えて、撃つようなことがあったならば、それこそ、人心祖失の結果、我は或は、敵に対して和を求むるべく余儀なくされないだろうか。何ぜなら、是の時に当り我機の総動員によって、敵機を迎え撃っても、一切の敵機を撃落すこと能わず、その中の二、三のものは、自然に、我機の攻撃を免れて、帝都の上空に来り、爆弾を投下するだろうからである。そしてこの撃ち漏らした敵機の爆弾投下こそは、木造家屋の多い東京市をして、一挙に、焦土たらしめるだろうからである。如何に冷静になれ、沈着なれと言い聞かせても、又平生如何に訓練されていても、まさかの時には、恐怖の本能は如何ともすること能わずね逃げ惑う市民の狼狽目に見えるが如く、投下された爆弾が火災を起こす以外に、各所に火を失し、そこに阿鼻叫喚の一大修羅場を演じ、関東大震災当時と同様の惨状を呈するだろうことも、想像されるからである。しかも、こうした空撃は行くたびも繰り返される可能性がある」


桐生悠々はこの社説が原因で軍部の圧力を受け辞めさせられた。まあ、でもよく書いたよ。さすが信濃っ子。

で、わずか12年後にこの指摘は寸分たがわず正しいことが10万人の犠牲をはらって証明されたわけだが。

2007/02/10

[木鐸]   地震と暴動と日本人

at 22:50JST
来週は連休なので「ビッグコミックスピリッツ」が早売り。

読んでみると、一色登希彦がコミカライズしている「日本沈没」が、なかなか衝撃的なシーンを描いていた。これは明らかに永井豪「デビルマン」へのオマージュだね。今後、彼が作中の日本を襲う阿鼻叫喚地獄絵図の描写において、リメイク版映画のようなフヌケた真似をしないという決意を感じた(だいたいあの映画は沈没してねーんだから題名からして詐欺もいいところである)。



大地震に限らず、タガが外されたとき群衆は暴力装置に変貌する。それは海外だろうと日本だろうと同じなわけで。ちゃんとそういう恐ろしさを描いてくれる作家を、今の社会は必要としていると思う。

このあいだ、どこかのコミュニティサイトで
「日本の良さをさぐる」
とかいうワケのわからない投票企画をやっていたけれど、そこで上位に
「地震があっても秩序を守る」
とかいうのが挙がってた。

バカ言ってんじゃねーよ。阪神大震災では流言飛語が飛び交い、レイプだって多発してた。関東大震災では、大勢の朝鮮人が虐殺され、巻き添えをくらって地方出身者も殺された。

でも、それをことさらに責めたいわけじゃない。人間は誰でも弱くて、容易に変質する。それはごく当たり前のことで、実は怖くもなんともないのだ。

もっと怖いのは「秩序を守る」と思いこみ、その錦の御旗のもとに狂気を執行する人間の群れだ。くだらないプライドをもっているヤツほどそのワナに落ち込みやすい。他人と自分の弱さ・愚かさと直面しなくては。

2007/02/09

[木鐸]   証拠品を紛失

at 14:47JST
信じられない! アメリカだったらこれで無罪になってもおかしくないだろ!

(cache) NHKニュース
http://megalodon.jp/?url=http://www3.nhk.or.jp/news/2007/02/09/d20070209000101.html&date=20070209144345
警視庁は、多数の証拠品を自宅から押収しましたが、このうち遺体の切断に使われたとみられるのこぎりや木刀など4つの証拠品がなくなっていることがわかりました。これらの証拠品は、捜査本部がある代々木警察署の部屋に段ボールに入れて保管されていましたが、先月7日、鑑定に出そうとしたところ、なくなっているのに捜査員が気づいたということです。証拠品は、本来はロッカーに入れて保管することになっていますが、外に出されていたということで、ほかのごみといっしょに誤って廃棄された可能性が高いとみられています


日本の警察がいかにデタラメで証拠に基づいた捜査をしていないか、わかるってもんだ。

Yahoo!ニュース - 読売新聞 - 渋谷の妹殺害、のこぎり・木刀を特捜本部紛失…廃棄か
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070209-00000405-yom-soci
Yahoo!ニュース - 毎日新聞 - <短大生切断>切断ののこぎりなど証拠品を紛失 警視庁発表
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070209-00000053-mai-soci

2007/02/02

[木鐸]   脱SEO/UAO宣言

at 14:08JST
書店に寄ったついでに、いま悩んでいる「JavaScriptでStyleSheetオブジェクトをいじる」あたりを扱った本を立ち読みしてきた。

個人的にはスタイルシートがからんでいるあたりには、W3C原理主義者がウロチョロしているので関わりたくなかったのだが。この本をチェック。

Styleの操作についてはありきたりのことしか書いてなくてガッカリ。おまけに、
「ロボットに読みやすいページを!」
なんてうたった一節があってブチ切れ。machine readableってやつですな。くだらない。正直言ってバカジャネーノと思う。浅薄なSEO主義と変わりない。だから原理主義者は始末に負えない。

あのね。ロボットに読みやすい文書なんて書いてどうすんだよ。最終的には人間が読むんだよ。人間に読みやすくなくてどうすんだよ。どんなにW3Cの勧告に従ってようが、どんなに“美し”かろうが、読み手が意味をつかめなきゃどうしようもない。平気で「Permalink」なんて用語をblogにちりばめてる脳天気な連中と同じ。ひとりよがりだ。世界はそのひとりよがりな連中とはまったく異質な60億人から成り立ってる。

もちろん、単純に「その60億人に読んでもらえるように努力する」…というのは文章技法とか表現技法とかいうレベルになってしまって幅広すぎる。だからことインターネットに関して言うなら、ぼくが必要だと思うのはこういうmachine readableとかSEO的な観念ではなく、
User Agent Optimization
だ。ユーザーエージェント、つまり「ブラウザに読みやすい」文書を作ることが、Webの世界では重要だと思う。これは過去14,5年にわたって変わってない。Mosaicだのchimeraだのを使ってたころから同じだ。

CSS的に標準に準拠していようが、JavaScriptによって論理構造と見た目を分離しようが、できるだけ多くのユーザーエージェントで
「読みやすい」
文書を提供しなければ意味がない。だって読めないもの。文書を読むのは人間だもの。できるだけ多くのユーザーエージェントで読みやすさ=エクスペリエンスを向上させるには、あえて標準にこだわっていてはできないことのほうが多い。現状では! というか、CSSやJavaScriptに依存しきっているために、ぼくがふだん持ち歩いている携帯のフルブラウザでは読みづらかったり読めなかったりするサイトのなんと多いことか! 
「プレインなHTML部分は読めるからいいのだ」
と反論されるだろうが、そのときにユーザーエクスペリエンスは無視してかまわないのか! そしてまた、高度なレンダリング機能を期待するがために、組込み機器ではメモリ不足で展開できないページもどんどん増えている。それでいいのか! やはり、90年代に多くの開発者が苦労したように、できるだけ多くのユーザーエージェントで読める、できるだけ多くのユーザーエージェントに優しいサイトを作るべきなんじゃないのか。

と、乱雑にメモ。

2007/02/01

[木鐸]   ステンレス製スメルキラーに公取介入

at 19:53JST
ドイツで発明されたというふれこみで「ジロンカ」「スメルキラー」などとして売られているアレに、公取の指導が入ったようだ。

(cache) NHKニュース
http://megalodon.jp/?url=http://www3.nhk.or.jp/news/2007/02/01/d20070201000166.html&date=20070201194343
全国の百貨店やテレビショッピングの番組などで「水と空気で消臭します」「口の中に入れて使うとタバコなどの不快なにおいを取り除きます」などと表示して、ドイツで製造されたステンレス製の商品を輸入販売しています。公正取引委員会が表示の根拠を示す資料の提出を求めたところ、2社は実験のデータなどを提出しましたが、消臭効果を裏付ける資料はなかったということです。公正取引委員会は、「消費者に誤解を与える不当な表示だ」として、景品表示法に基づきこうした表示をやめるよう命じました


この商品はかなり有名で、Amazonでもけっこうランキング上位に入ったり、↓のように八田氏なんかも購入したりなんかしてるが。

ジロンカ スメルキラー クラシックセット (ブラック) - My Human Gets Me Blues (2004-09-30)
http://www.mhatta.org/diary/?date=20040930#p02

まあ、理屈がわからん怪しいものだよね…。そんなにキレイになるならステンレスで覆われたキッチンから悪臭がするはずもないし…。誰か解明してくれないかと思って手をこまねいていた。

“水商売”のようなニセ科学を糾弾するサイトは多いけど、コレについてはほとんど情報がなかったんだよね。2chのスレくらい。けっきょく、他人が叩いてないとみんな動かないからなあ…。

【永久消臭】スメルキラー(その2)【原理は謎】
http://science5.2ch.net/test/read.cgi/bake/1141748087/

最近、公取がマメに働いてくれている気がする。

[木鐸]   1000万台も抱えていない

at 17:26JST
http://memo.hirosiki.jp/article/32504758.html
つづき。

「携帯電話の不良在庫、1000万台も抱えていない」――ドコモ社長:ITpro
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/NEWS/20070201/260343/
「2006年12月末時点の端末在庫は約350万台。同社における端末の平均販売台数の1.5カ月分に相当する」


3キャリアでビリっけつに転落した現状を加味してないんじゃなかろうか。

グラフを見ても今年度直近のわずか半年=MNPを控えて端末投入台数が増えている期間に棚卸し資産が1,000億も圧縮されてるのは逆にあやしい。端末のメーカーからの納入時期を一時的に遅らせるなどして付け替えをしてるんじゃ?

などと陰謀論を語ってみる。

どっちにしても今の携帯業界は資源の無駄遣いの何者でもないよ。是正されてほしい。

2007/01/31

[木鐸]   携帯の在庫

at 17:53JST
ソフトバンクが25日の発表会で「20色のケータイカラーバリエーション」を出したときは、
「在庫どうすんだよ!」
とゾッとした。正直MNP前後から3キャリアは異常な状態だ。市場原理もニーズも、まったく無視してモノを作ってると言わざるを得ない。

というようなことを思っていたのだが、まあ、おんなじようなことはやっぱり日経ビジネスあたりで指摘されてるのね。この記事はタイトルしか見てなかった。

「0円でも売れない」 (時流超流):NBonline(日経ビジネス オンライン)
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20070118/117191/?P=2
ドコモは番号継続制度を前に14機種を発表し、万全の体制で臨んだ。だが、「流入を当て込んでいたソフトバンク()が予想以上に健闘した」(ドコモ幹部)こともあり、加入者獲得に苦戦。2006年11月に加入者が創業以来初の減少に陥った。「新機種の販売も伸びず、過去の分も含めると1000万台近くが余剰在庫になっている」と携帯電話関係者は明かす


ドコモは市場でのプレゼンスが下がっているので、在庫1,000万台は「説」じゃなくて「事実」でもぜんぜん不思議じゃないだろう。

やはり日本の携帯電話市場は特殊すぎると思う。

・キャリアが新サービスを小出しにする
   ↓
・メーカーがそれに対応した端末をつくると、
 全部買い取ってもらえる
   ↓
・販売店はインセンティブ依存の営業をする
   ↓
・消費者は異常な低価格で端末を入手する

というルートは、どこにも
「負のフィードバック」
がかかる部分がない。つまり、サービス・端末・営業・購入意欲のいずれも淘汰されないから、ブラッシュアップされていかないのだ。

で、この異常なスパイラルが永遠に続く限りにおいては
「在庫が異常に積み上がっても問題ない」
という利点もあるわけですが…いつまでもそういうわけにはいかないだろう。企業会計上の問題になるんじゃないのか。

今のように
「(アーリーアダプターだけでも)半年おきに買い換えを煽る」
しくみというのも好ましくない。いつかは消費者が追いついていけなくなるし、いろんな面でムダだ。これを維持しているのは
「キャリアが
 コンテンツとネットワークサービスの両方を独占している」
という構図なわけで。

キャリアはネットワークだけを提供すればいい。
端末はメーカーが汎用的なものをつくり、
正当な価格で売るべきだ。
コンテンツはオープンな環境で誰もが制作できるようにする。

さもないとキャリアの経営状況は目に見えない部分でおかしくなっていくし、通信料金は高止まりのまま。代理店の営業形態も不健全であり続ける。

・SIMロックの禁止
・メーカー買取り制度の廃止
・端末規格の統一
・電話機のスマートフォン化

と段階的にせよいろいろやっていくべきことが多いと思う。

なんとなくとりとめもなく書いてみた。

2007/01/30

[木鐸]   人が集まらないといけないんだろうか

at 02:09JST
(cache) asahi.com:裁判員フォーラムに謝礼で「動員」 共催の産経新聞など - 社会
http://megalodon.jp/?url=http://www.asahi.com/national/update/0130/TKY200701290384.html%3fref%3drss&date=20070130020607

サンケイなのでいい気味なのだが。

なんで人を集めないといけないんだろ。特にこれは、裁判員制度のアピールのためのイベントでしょ。人が来なくても誰も困らない。そんだけ認知されていないことが逆にわかる。

このあいだのタウンミーティングもそうだけど。人が来ないのは大臣に人徳がないからだろう。それを実感できる貴重な機会なわけで。操作されていたらむしろ現実が見えなくなって問題があるじゃないか。

閑古鳥が鳴くイベントには閑古鳥が鳴く意味があると思う。

2007/01/29

[木鐸]   給食費

at 01:52JST
去年のサンケイの
「給食費払わずに外車乗り回す親」
キャンペーンに引き続き、こんどは文科省が恣意的なアンケートで
「給食費アジ」
を始めたわけだが。

くだんの報道に触れて、
「親のモラルが低下している!」
などと思いこむ人も少なくないのだろう。

だが、実際にはよく調べてみると支払えない/支払わないのはわずか1%だ。

報道に簡単に感化された人々は、よほど身の回りを気をつけて見ていないのだろう。ぼくの子どものころには、クラスには給食費を支払えない人は何人もいたし、電話を引けない家庭もあった。わずか10年かそこら前のことだ。今でも、電話はメインが固定から携帯にシフトしたためにいくらか少なくなったが、経済的に困窮している家庭など小・中では珍しくない。いちどPTAのつきあいにでも顔を出してみればいい。家計状況が違う人々にすぐに触れられる。

それでもたった1%なのだ。どこが激増しているのだろう。

また、アンケートで教員に
「滞納家庭の滞納理由は?」
と聞いた結果の統計が出ているが、これなどは選択肢が
・困窮している
・モラルが欠けている
しかないという、ものすごく非科学的なものだ。…そもそも理由を徴収側に聞いて支払い側に聞いていない時点でおかしいのだが。

こんなものは報道に接しただけですぐわかると思うのだが、多くの人は誰かを血祭りにあげたくて舌なめずりしているようだ。だから、
「ダメ親」
という仮想敵を与えられると、飢えたハイエナのように飛びかかる。自分の不遇を相手に投射して、ウサを晴らしているのだ。

今の政権と保守系(親米極右だけか)の人々は、こうした仮想敵の創出に必死だ。内部ではジェンダーフリー、在日外国人、そしてダメ親。外敵は北朝鮮。それを理由にしてさまざまなアジテーションを行う。みんなのせられて、いつの間にか過ちを犯してしまう。

とはいえ人間は「キモチノイイ」ほうへ流れていくものだ。そして、より多くの人が「キモチイイ」と感じる方へ、社会は進んでいく。ぼくごときがひとりで抗ったところで詮無い。

とも思うが、たまには同じことを感じている人もいるようなので、ちょっとだけありがたく感じて賛同のトラックバックを飛ばしておく。

5号館のつぶやき : 「親たたき」としての給食費未納問題
http://shinka3.exblog.jp/5382847

孫引きだが、これも参考になる。

給食費滞納と報道  佐藤清文
http://eritokyo.jp/independent/sato-col0063.html

「古きよきコミュニケーションが失われている」と主張することが多いのが右の人々だが、実は解決手法にコミュニケーションを掲げていないという点では自己矛盾なのかもしれない。

2007/01/19

[木鐸]   バックウォルド死す

at 20:10JST
(cache) asahi.com:米コラムニストのアート・バックウォルドさん死去
http://megalodon.jp/?url=http://www.asahi.com/obituaries/update/0119/001.html%3fref%3drss&date=20070119200248

あー…。

大学のとき、図書館の片隅に古ぼけた
「アート・バックウォルド全集」
が並べられていた。ロクに読まれている感じでもない。ただ乱暴に置かれていた。

講義のあいまの手持ち無沙汰にまったくの偶然で手にとったぼくは、なぜか彼の筆致にぐいぐい引き込まれた。知恵に長けユーモラス、シニカルでありながらやさしいアートの世界はそれまで触れたことのないタイプのものだった。

足下にも及ばないどころか方向性も似ても似つかないだろうけれど、彼の文章はぼくにとってはひとつの“神”だった。

彼のようになりたいね。黙祷。

2007/01/11

[木鐸]   弁護側は「テロ」と主張し、検察は情状酌量を訴える謎

at 23:57JST
asahi.com:加藤紘議員宅放火、弁護側「テロ」、検察側「生活苦」
http://megalodon.jp/?url=http://www.asahi.com/national/update/0111/TKY200701110386.html%3fref%3drss&date=20070111235430
昨夏の終戦記念日に、山形県鶴岡市にある加藤紘一・元自民党幹事長の実家兼事務所を全焼させたとして、現住建造物等放火罪などに問われた右翼団体幹部の初公判が11日、山形地裁(金子武志裁判長)であった。被告は起訴事実をほぼ認めたため、「動機」が主な争点になった。弁護側は情状に不利になるにもかかわらず、あえて犯行の計画性を強調し、右翼思想に基づくテロだと訴えた。検察側は、生活苦など個人的な事情が動機だったと指摘した。


そうかい。
そんなにこの国には暴力による言論抑圧の空気がないということにしたいんかい。

腐ってるな。

2007/01/05

[木鐸]   この見出しで…

at 13:32JST
首相 美しい国づくりを指示
http://megalodon.jp/?url=http://www3.nhk.or.jp/news/2007/01/05/d20070105000062.html&date=20070105133029

あたかも文芸作品かと思えるが、なんと政治のことを意味しているこの見出しをみて、
「首相か記者のどちらか(またはどちらも)が
 気が狂ったに違いない」
と思えないわれわれ日本国民は、とってもおめでたい。まこと新年早々。
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