2007/09/11

[技術系]   木を見て森を見ず、ということばもあるからなあ

at 12:40JST
 
shi3zの日記 - マシン語を知らない子ども達
http://d.hatena.ne.jp/shi3z/20070911
あまりも当たり前過ぎて21世紀に入ってから言葉にだしたことはあまりないのですが、当然のことながら、プログラムというのは、マシン語を理解して初めて「書ける」と言うのです。

プログラムが書ける、という状態は「マシン語が書ける」という状態の延長線上にあるべきで、マシン語を理解していないということはマシンを理解していない、つまりプログラムを理解していないのとほぼ同じだと思います。


コンピュータやってる人は、原初回帰志向的なものが強くなりがちな気がする。あるいは大岡山主義というか(=「メイルを使う人間はすべてSMTPを理解しているべきです」と叫ぶ某大学方面の人)。

しかし、あまりに下すぎるレイヤーを理解しても、それが逆に盲腸になることがあるんじゃないか。ある意味、木を見て森を見れなくなるというか。

ぼくの時代にはマシン語というのは小学生のうちに手をつけるのが当たり前で、ご多分に漏れずぼくも学校の休み時間や授業のタスクを早く終えた合間にハンドアセンブルして(カネがなかったので)身につけたけれど。しかし、そういうあまりにも土台に近すぎる経験をしていると、高次に抽象化された成果=他人のつくったライブラリとかを無邪気に受け入れる素直さがなくなってしまう気がする…。中学のときラインやペイントのルーチンを懸命に自製しようとしたり、ハフマン法に基づく圧縮を自分でやったりしたけど(たぶん誰でもやってただろう)
「あれって時間のムダだったんじゃない?」
的な。そのとき「森を見て」プログラミングしていたら、もうちっと生産的なことができたんじゃないかと。

若い人がロジックもマシン語も知らず、フレームワークでパコパコWebアプリを量産できるのは、それは盲腸がないゆえの身軽さでいいことなんじゃないかねえ。もちろん、木も森も両方見れるほうが優秀なのは当然だ。でもでも人間の使えるリソースには限界があるから。すなおに森だけ見る戦略もアリだよね。

「エンジンの部品を鍛造したことがなければ
 クルマを真に運転することはできない」
…などということはない。今はワイヤーラッピングしたことなくてもパソコン作れるしさ。

あと個人的に、マシン語入門に386を勧めるのは難解なのではないかと思った。さすがに4004とは言わないけれど、8080かZ80のほうがシンプルでわかりやすいんじゃないかな。…手元に動作確認できる環境がなきゃ学習にならない? そりゃそのとおりだ(エミュレータ使え、とは思わない)。


↑まだ入手できるのね。



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