2007/07/02

[木鐸]   なんて視野の狭い労働観だ

at 16:43JST
 
はじめ、

NC-15 - 若者責めても何も解決しねえが?
http://d.hatena.ne.jp/muffdiving/20070701/1183303115

から一部だけかいつまんで読んだので、なんかミツバチかハタラキアリのコミュニティの観察論かと思った。

若者はなぜうまく働けないのか? (内田樹の研究室)
http://blog.tatsuru.com/2007/06/30_1039.php
労働は本質的に集団の営みであり、努力の成果が正確に個人宛に報酬として戻されるということは起こらない。
報酬はつねに集団によって共有される。
個人的努力にたいして個人的報酬は戻されないというのが労働するということである。


おいおいおい。どういう浅い人生過ごしてくるとこんな労働観が形成されるんだよ。どうすると
「労働は集団の営みである」
なんて誤った達観ができちゃうんだ?

そりゃ
「永遠の社畜再生産機関」
として世の中をとらえれば、こういう考え方に染まっちゃうんだろうけど。ちょっと待て。俸給とりの「サラリーマン」が概念として成立したのは、日本ではおよそ大正年間。それが一般的な生き方になって*しまった*のは、戦後の高度成長期の話だからここ4, 50年の話。
「労働も報酬も巨大な集団の中で行われる」
のがあたりまえになったのは、ごく最近の短いスパンの話でしかないよ。

マルキシズムを引っ張ってくれば、産業革命後に「生産手段をもたない労働者が生まれた」ことで労働が資本家の統率する集団の中でしか成立しなくなったという見方はたしかにできるし、ぼくもそういう部分はあると思うけど、それだってここ100〜200年がいいところだろう。

それ以外の時代、そしてそういった労働者以外の生き方があることを忘れてどうする。というか、実は「それ以外の人々」はパーセンテージで見てもかなり多いんだぜ。
「自営業者」
のことだ。

ぼくの人生の多くの期間がそうだけど、自営での労働は外部から依頼されて成果物を納品するというかたちで集団外で成立しているし、その報酬のすべては(税金を除けば)ぼくにだけ還元される。個人的努力に対して報酬は個人的に還元されるよ。
(その成果物はさらに大きな集団における生産に組み入れられて使われるからやっぱり集団の外にいない…なんてメタで不毛な議論はパスな)

問題は、
「集団のなかで働くことに絶望している人々」
に対して、そういう
「個人で完結する自由な生き方がある」
ということをきちんと提案できないことにある。「若者」がうまく働けない、労働に希望を見いだせないのは、サラリーマン以外の生き方があって、べつにそれが「負け」じゃあないんだよということを社会が教えてあげてないからだ。しかもあろうことか白眼視したりする。ほんとは主流派は自営業者のはずなんだぜ?

と、てきとーに思ったことを書いておく。
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