と思って、タイトルだけでこの立花隆の記事は読み飛ばしていたのだが、こんなヘンなこと書いてたのか。みんな同じこと突っ込んでるのかな?
東大の「産業総論」で露呈 日本人の知力崩壊が始まった - ビジネススタイル - nikkei BPnet
http://www.nikkeibp.co.jp/style/biz/feature/tachibana/media/070316_rotei/index3.html
コンピュータはかけ算すら足し算の繰り返しとして計算する。そういう数学の基礎中の基礎をちゃんと理解しているかどうかが最も重要なのだ
おまえ、ちょっとZ80でかけ算するコード書いてこいと。小一時間問い詰めたい。
ぼくがザイログニーモニック書いてたのは小学生のころだが、それでも単純にかけ算を足し算の繰り返しでコーディングしたら激遅なのはすぐわかった。
たしかに当時の8ビットCPUには乗算命令はなかった。でも、足し算なんかやってられない。ということで頭のいい連中(=ぼくではない人々)は
「ビット演算でかけ算する」
という手法を編み出した。
たとえば、十進数の2は二進数に直すと
00000010b
という01の羅列=ビット列になる。CPUにはこういうビット列専門の演算機能があって、
「ビット列を左に一桁ずつずらす」
といったことがカンタンにできる。たとえば先ほどのものを左に一桁ずらすと
00000100b
となる。注目すべきは、この二進数は十進に直すと
4
になるわけだ。左に一桁ずらすと、なんと
×2したのと同じになる
のだ。同様に一桁ずつずらしていくと2のn乗のかけ算が足し算よりもずっと素早くできることがわかる。ちなみに逆方向にずらすと割り算もできる。
なるほど確かに基礎は大事だ。だが、ちょっと待って欲しい。大事だからといって全員に基礎だけを押しつけていたら、そしてその基礎の押しつけだけで自分の時間をもてないほどアップアップさせてしまったら、いったい誰がこんな
「ビット演算したらカンタンにかけ算できるじゃん」
などという邪道を考えつくというんだ?
実際に規律や規範を押しつけ、修練と称して基礎の繰り返しばかりさせていると、こういう芽を気づかず摘んでしまうことが多い。
たとえばぼくはこういうことを小中学校の休み時間とか、プリントを人より早めに終わらせた余り時間とかに、持ち込んだ授業と関係ない本を読みふけって学んだ。でももし、規律が大事だなどと言ってこうした本の持ち込みが厳しく制限されていたら、おそらく知識を吸収する時間がもてなかったに違いない(個人的には授業を聞き流しながら脳内で好き勝手なこと考えてただろうと思うけど)。マンガだって持ち込むのがいいとは言わないが、学校に持ち込んで描き写したりする時間がなかったら、将来のマンガ家になれるヤツの芽を摘むことになりかねない(ほとんどのマンガ家は休み時間に絵を描いていた経験があるもんだろう)。
管理教育が問題だ、ゆとりをもとう、という話になったのは、こういう
「邪道の効果に期待しよう」
という考え方からだったはずだ。手垢のついた言葉でいえば「個性を尊重し、伸ばす」ということになるのだけれど。
たしかに基本的な学習能力を身につけることは大事だ。でも、実際に社会に出てから何かするには、+αの何かが必要になる。その+αというのは実はこういう邪道から身につけるものであって、小中高大の正規の教科で教わるものではけしてない。
だから子どもの人生を正規の教科に追いついていくだけで精一杯にしてはいけないのだ。それが「ゆとり教育」の本来の考え方だったはずだ。
ぼくにはそれが事実かどうかを確かめる術がないが、
「日本には世界と競争していく技術力が足りない」
「コンテンツを創造する独創性が足りない」
と言うのなら、それはまぎれもなく「邪道」を尊重しなかった社会のあり方に責任が帰されるべきだと思う。
学校の授業だけでスーパーハッカーが生まれるか? 学校の授業だけで名フィギュアスケーターが生まれるだろうか。学校でカーリングスターを育てる?
勘違いされないように書いておくけれど、ぼくは「学校は何も教えてはくれない」なんて思わない。学校は大好きだったし、さまざまなおもしろいこと大切なことを教えてくれた。でも、学校を終えたあとに生きていくのに必要なテクニックは、学校の目も親の目も届かないところで身につけてはぐくんだものだ。すべてが他人の目の下にあったら、いったいぼくはどうなっていたんだろう。
