2007/03/18

[木鐸]   全肯定ポジティブ教はきらいだ

at 04:18JST
 
My Life Between Silicon Valley and Japan
直感を信じろ、自分を信じろ、好きを貫け、
人を褒めろ、人の粗探ししてる暇があったら自分で何かやれ。
http://d.hatena.ne.jp/umedamochio/20070317

ぼくは、こういう主張にはまったく賛同できない。

「好きとメシのタネをつなぐものを見つける」という点だけはそのとおりだと思うし、自分にはそういう生き方しかできないけれど、ほかの多くの人はそういう生き方をしたがらないし、そのために疎外感を味わうイバラの道を歩くことになるなら…と思うと、他人に脳天気に奨めることは躊躇する。

とにかく人をほめろ、と。ものごとはこんなに単純じゃない。たとえわかりやすくするために戯画化された表現なのだとしても、そのことばがひとり歩きして害毒をもたらすとしたら、そこらの老人が俗流若者論を垂れ流しているのとベクトルが同じだと思う。

たとえば、ぼくは「全面的に人を褒めろ」という強力なポジティブ思考は間違いだと思う。今のぼくはお追従は言わない生き方を選んでいる。明らかにすばらしいと評価できるものはほめるし、それが必要なときはほめられるところを探してほめる。でもその場合も欠陥をともに指摘することが多いし、少なくとも最小限の「ほめ」ですますようにしている。全体として評価に値しないと思ったものはほめない。絶対に。

なぜなら、ほめるという行為は対象の動作に誤差をもたらしかねないからだ。なおかつ対象の自己評価も過大にさせ、実は間違っている行動をそれと気付くことを遅らせ、破綻する方向に追い込む危険性が高い。自営レベルの知り合いでは、それで自殺に追い込まれたケースもある。事業失敗程度で自殺しなきゃならない社会にも問題はあるが、他人をほめるということはそれだけの責任を伴うということだ。先のケースでは、根拠が不確実すぎる夢をまわりの皆が持ち上げすぎたのではないか、とぼくは今でも思っている。

とはいえ、無関係な他人をあげつらってまで他人をけなす必要はたしかになかろう。そういう意味では「粗探しをするな」というのは賛成だ。評価する、というのはたとえ一面識しかなくても本気になって考えてあげられる知己のためにするものだ。

だがだが、たとえば同じ企業の中にいる相手のことなら、粗探しをする真剣さも必要だし、むやみにほめない率直さもたいせつだと思う。

そういう意味では、ブレインストーミングや企画出しの場でよく言われる「否定しないこと」というのも嫌いだ。間違っていると思う。梅田氏のエントリにアラートを感じるのは、たぶんそれと類似性を感じるからだろう。

こういう場では、みんながなごやかな雰囲気を演出しながらさまざまな企画を出す。しかし、この手の時間軸のある場では、途中で出たひとことにあとの流れが影響──汚染されがちなものだ。それがいいものであることもないではないが、突拍子もないものであっても汚染は起こる。たとえば、卑近ながらありがちなのが「上司は思い付きでものを言う」(橋本治)のような。

突拍子もないことを言うのは上司に限らない。誰もが、ネジ工場の事業改革討議の場で
「コンビニでもやるか」
というような発言をする危険性がある。そして流れが汚染される。なぜか最終的に
「ネジの直販もやるセブンイレブン」
という新事業が決まったりする。…こんなのは会社にいればよくある話だ。裏表ダブル表紙を掲げて伝説の返品率を記録した雑誌の話は知っているだろう。重厚長大産業だけでなく、なかよしグループ的なネットベンチャーでも日常的にこんなことは起きている。

もちろん会議の流れをうまく誘導して
「ネットでネジのコンビニを開こう」
と持っていければ結果オーライだが、そんなことのできる智者はごく少数だし、参加している多数を魅了・説得しなければならないというものすごい負担が課される。これはすごいハードルだ。しかも本人の努力だけでは飛び越えられない。実際には、
「コンビニは××だからダメだ」
と“ほめない”人間がきちんと出るほうがハードルが低く、コストも少なく、そして閑古鳥の鳴くコンビニで赤字を出さずにすむ。

だから「人をほめろ」というのは、最低でも留保つきのドグマでなくてはならない。

ぼくは会社にいて何がいちばんイヤかというと、赤字が出ることではなく、思慮の浅い計画のせいで新しい人が雇われ、そしてはじめから出ないとわかっている成果が出なかったときに無責任にクビが切られるのを見ることだ。あるいは適材適所を考えず人が異動させられたり左遷させられたりを見ることだ。社員だけでなく、派遣も外注も…いろんな人、たくさんの人が悲しい思いをして、人生を多少狂わされる。今まで何回も見てきて、本当につらかった。沈むとわかっている船に人を載せ、もちろん沈まないようにコントロールするけれど沈むことは最初からわかっていて…。ただほめまくることは、そんな船を量産することになる。設計段階で無意味に発したほめことばが、沈む船を建造したきっかけだったら…。

本当に必要なのは、ほどほどにほめること、ほどほどにけなすことだろう。

でも、組織では、会社では、そんなほどほどはうまくいかないものだ。人は感性がそれぞれ違い、好きも嫌いもある。人が増えれば、ひとつの物差しでほどほどははかれない。

だからぼくは、やりたいことやるなら個人でやるのがいちばんいいと思うよ。自分をほめてもけなしても、自分のなかで完結する。

それに組織の能力は構成員の能力の総和にはならないものだ。構成員の能力の最大公約数にしかならない。これだけは言える。梅田氏の言うように新芽をつぶす企業現場は多い。というか企業というのはそのために存在する。それは多くの人間のエゴの集合だからしかたがない。だから企業には期待するな。

全否定ネガティブ信者のひとりごと。
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