2007/09/11

[雑記]   「ギムナジウムカフェ」のほうがまだ煩悩が少なそうな気がするのはどうしてなんだ…

at 20:51JST
「高野山カフェ」青山に−写経体験などで首都圏客呼び込み - シブヤ経済新聞
http://www.shibukei.com/headline/4629/index.html

なんかこう、下心アリアリというか…。

つーか、高野山カフェって、入ったら上からヒルがポタポタ落ちてきそうで、それだけで行きたくありません(子ども時代そこしか読まなかっただけなんだが)。


[技術系]   TOWNSが発表されたときのアレルギー反応を思い出す

at 17:40JST
怒ったのか恥ずかしがったのかわかんないけど、あの程度で顔を真っ赤にする必要はないと思う。

shi3zの日記 - マシン語に関して、追記
http://d.hatena.ne.jp/shi3z/20070911/1189493768
結局のところ論旨として「コンピュータを使うのに、マシン語を理解している必要はない」と仰りたいのでしょう。
僕もそう思います。僕もブログを書いているときに論理回路を意識したりしません。
ただ、「プログラミングを仕事としているのに、マシン語を理解している必要がない」とまでは思いません。


たしかに。
「ただ使うだけの人にも根底からの理解を要求する」人がいるから、ぼくも原初回帰的主張にアレルギー反応を示すだけなのかもしんない。

ただ、マシン語からアセンブラへ、そしてCへ、高級言語へ…という抽象化が進んだ背景には、底部を隠蔽することで生産性を上げようという必然があったわけで。「プログラム組む人」も全員が底となる技術の深い知識が必要だとは思わないな。

階層的分業の問題でしょう。深い知識をもっていなくても十分こなせるレイヤーの仕事をする人もいる。もちろん深い知識をもっていたほうがうれしいことも多いけれど、それを自分を含めた全員に要求するのは理不尽な完璧主義でしかないかな、と。実際のプロジェクト運営はそれではうまくいかない。関係者が全員病気になってしまう…。

プログラムに携わる人全員にTK80マイコンキットの制作からトレインしてたら、コストも時間もものすごいムダになってしまうよね。…個人的にはそういう会社は好きですが^^; たぶん、人員規模がスケールしないでしょう。そこに差別化・付加価値を見つける方法もあるけどね。だから、別に考え方としてまったく間違ってるわけじゃない。ただすべてに適用できる思想ではない、というだけで。

あと、
また、ブクマコメント中で80386についての理解があまりにも得られなくて驚きました。15年間も業界を牽引する強力なアーキテクチャがあのとき考え出されたということに対して、あまりに低い評価は驚愕するしかありません

そうそう、これは激しく同意。「ぼくはいま1980年代にいるのか?」と思っちゃった。

FM-TOWNSが386を採用したときのFM信者の強烈なアレルギー反応を思い出した。あれはひどかった。今のことばで言うなら「富士通空気嫁」的な。

20年経って、結局生き残ったのはx86アーキテクチャだった。X68アーキテクチャではなく。

[雑記]   あめだー

at 13:51JST
がーん。
もたもたしてたら雨ふてきてしまた…。

[技術系]   木を見て森を見ず、ということばもあるからなあ

at 12:40JST
shi3zの日記 - マシン語を知らない子ども達
http://d.hatena.ne.jp/shi3z/20070911
あまりも当たり前過ぎて21世紀に入ってから言葉にだしたことはあまりないのですが、当然のことながら、プログラムというのは、マシン語を理解して初めて「書ける」と言うのです。

プログラムが書ける、という状態は「マシン語が書ける」という状態の延長線上にあるべきで、マシン語を理解していないということはマシンを理解していない、つまりプログラムを理解していないのとほぼ同じだと思います。


コンピュータやってる人は、原初回帰志向的なものが強くなりがちな気がする。あるいは大岡山主義というか(=「メイルを使う人間はすべてSMTPを理解しているべきです」と叫ぶ某大学方面の人)。

しかし、あまりに下すぎるレイヤーを理解しても、それが逆に盲腸になることがあるんじゃないか。ある意味、木を見て森を見れなくなるというか。

ぼくの時代にはマシン語というのは小学生のうちに手をつけるのが当たり前で、ご多分に漏れずぼくも学校の休み時間や授業のタスクを早く終えた合間にハンドアセンブルして(カネがなかったので)身につけたけれど。しかし、そういうあまりにも土台に近すぎる経験をしていると、高次に抽象化された成果=他人のつくったライブラリとかを無邪気に受け入れる素直さがなくなってしまう気がする…。中学のときラインやペイントのルーチンを懸命に自製しようとしたり、ハフマン法に基づく圧縮を自分でやったりしたけど(たぶん誰でもやってただろう)
「あれって時間のムダだったんじゃない?」
的な。そのとき「森を見て」プログラミングしていたら、もうちっと生産的なことができたんじゃないかと。

若い人がロジックもマシン語も知らず、フレームワークでパコパコWebアプリを量産できるのは、それは盲腸がないゆえの身軽さでいいことなんじゃないかねえ。もちろん、木も森も両方見れるほうが優秀なのは当然だ。でもでも人間の使えるリソースには限界があるから。すなおに森だけ見る戦略もアリだよね。

「エンジンの部品を鍛造したことがなければ
 クルマを真に運転することはできない」
…などということはない。今はワイヤーラッピングしたことなくてもパソコン作れるしさ。

あと個人的に、マシン語入門に386を勧めるのは難解なのではないかと思った。さすがに4004とは言わないけれど、8080かZ80のほうがシンプルでわかりやすいんじゃないかな。…手元に動作確認できる環境がなきゃ学習にならない? そりゃそのとおりだ(エミュレータ使え、とは思わない)。


↑まだ入手できるのね。

[技術系]   やっぱシグニチャ出してるからってマジメにバージョンアップするとは限らんよな

at 04:41JST
http://www.apache.org/dist/httpd/CHANGES_2.0.61

で思い出したのだが、

Kazuho@Cybozu Labs: サーバシグニチャは隠さないのが当たり前
http://labs.cybozu.co.jp/blog/kazuho/archives/2007/09/re_server_sig.php

% HEAD http://labs.cybozu.co.jp/blog/kazuho/archives/2007/09/re_server_sig.php 
200 OK
Connection: close
Date: Mon, 10 Sep 2007 19:34:15 GMT
Server: Apache/2.0.53 (Fedora)


なんだよな。

まあKazuho氏は別にサーバシグネチャ公開がバージョンアップを担保するなどとは主張しとらんが。一例。ディスクロージャポリシーの人がアップデートに敏感になる─なんてタワゴトが、どこに根拠をおいているのか疑問なのは確かだ。
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