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消費者の集合知のIQについて - 栗原潔のテクノロジー時評Ver2
http://blogs.itmedia.co.jp/kurikiyo/2006/11/iq_07a7.htmlそもそも存在の怪しい「集合知」というものの、人間に関しても科学的に利用されているかどうか怪しい「IQ」という数値を拾い上げて論じているというエントリで、もうその時点で眉に二回くらいツバを塗って読んだほうがいいという兆候が出ているわけなのだが。
取り上げているフェイクログというのは、おそらくテレビに取り上げられて
「それってヤラセじゃねーの?」
と2ちゃんねる経由で炎上した例の件を指しているのだろう。
しかし、あれが集合知なのか?
そもそも「フェイクログ」と断じていいのかどうかすら怪しい。フェイクって、どこからがフェイクなの? 執筆に対価をもらったら? それとも試供品をもらっただけでもフェイク? ちょいと担当者と顔見知りなだけでもフェイク? もともと執筆者がそのメーカーのエンスーだってだけでフェイク? どのレベルから? ぜんぜんわからん。というか、騒ぐ側にはどうでもいい。灰色で十分だ。あとはおもしろいから群衆が吊し上げて叩いただけだろ。叩いてる本人たちだって、「ぼくらはつながっていたからだまされずに済んだ」なんて意識はぜんぜん持ち合わせちゃいない。まさに「祭り」だ。
ぼくもまあ、露骨な企画広告や消費者を使ったプロモーションはそれほど好きではない。でもそういうものが「(一種の)広告だ」ということはすぐわかる。いまどきこの社会で、それを広告と認識できずに生きている人間なんてちょいと小学生でもいないだろう。フェイクログをフェイクと見破るのに集合知だの、高いIQだのなんて不要だ。たとえば、以前にソニーの石けん箱オーディオプレイヤーのblog形式プロモーションが叩かれていたが、ぼくにはあれがなぜ叩かれるのか皆目見当がつかなかった。だって、どう見てもプロモーションの一環だろ。本当に個人blog群の中に埋もれて展開していたわけじゃないんだぜ? 叩かれた理由は単純で、仕掛け人がソニーだったこと。そして叩くとスカッとしたからだろ。
こういうのは知恵とは言わないよ。
魔女狩りだの人民裁判と呼ぶべきだな。
そもそも今ネットで礼賛されているようなタイプの「集合知」というものは実際には存在しないよ。集団の参加人数に応じてリニアにブリリアントになっていくなら、戦争なんざとっくになくなってるっつーの。逆に人数が増えるに従ってバカげた理念のために戦争したがるのはなぜだろな。
戦争→ネットの祭り、という相似性を考えると、「集合知」とやらが決して知恵などではないということを感じられないだろうか。人間は集団になると、わかりやすい敵を設定して狩りを楽しむものなのだ。
実際に「集合知」と呼ぶべきものが存在するとするなら、それは完成された強い個人がコントロールされた環境下で結ばれ合った結果得られるものだろう。実際、2ちゃんねる上でもそういったかたちの集合知が生まれて成果物を育んだ事例はある。でも、それは顔の見えない群衆が作ったわけじゃないよ。群衆は消費し、礼賛する過程でその成果物の本質を変性させる。ある意味ではWinnyしかり、だ。